09.26
タバロンで交流 与那国×花蓮県光復
2025年9月23日の大規模な水害が発生した台湾花蓮県光復郷は、花東縦谷と呼ばれる谷間に広がる美しい地域です。3000メートル級の中央山脈と東海岸に連なる海岸山脈にはさまれたこの豊かな平野には、アミ族のタバロン集落があり、この場所は沖縄県与那国町の小学6年生が毎年交流を続けている地域です。

小学生が台湾と交流
与那国町が台湾の花蓮市と姉妹都市の関係にあることは、多くの人に知られているかもしれません。盟約を結んだのは1982年。すでに40年以上が経過しています。その30周年を記念する「2012年教育・文化及び観光フォーラム」が2012年に花蓮市で開かれ、この場で花蓮側の出席者から教育交流の呼びかけがありました。その結果、この年からタバロン(太巴塱)小学校と交流が行われるようになったのです。
このころ、与那国島では、台湾との教育交流が活発化していました。
中学校では、2010年から修学旅行が台湾向けに行われるようになっています。同じ年、久部良(くぶら)小学校が国際交流や英語教育の観点から台湾の小学校と交流することになり、準備期間を経て、2011年に6年生児童5人が台湾を訪れました。この交流では、台湾在住の日本人ジャーナリストらがサポートし、花蓮県寿豊郷の豊裡小学校が受け入れています。
高校がない島で
与那国町内には町立の小学校3校と中学校2校がありますが、高校はありません。久部良小学校が豊裡小学校と交流する際にまとめられた「企画のねらい」には、与那国町と花蓮市の交流の一端を担うといった点のほかに、「島内に高校がないため、子どもたちは義務教育終了とともに親元を離れて進学することを余儀なくされている。このため、小学校段階から、島外の情報に触れさせ、あこがれや夢、希望を持たせる必要がある」とあり、島独特の教育環境が反映されていました。
2012年からタバロン訪問
こうした下地(したじ)があり、2012年のフォーラムで教育交流を提案したシンポジストのアレンジで、タバロン小学校との交流が始まりました。タバロンと与那国は、固有の言葉や伝統文化が息づいている点で共通しており、交流の基盤になっている。
最初の交流は2012年11月に行われ、小学6年生15人が参加しました。この時は日帰りの日程で交流し、与那国側は「ミティウタ」(道唄。慶事の幕開きに行われる与那国島の伝統舞踊)を披露したほか、「ドゥタティ」(伝統的な衣服)を着た姿で三線を披露しました。タバロン側は、アミ族の頭飾りを編んでつくったり、伝統的な踊りの衣装を着て、踊りを体験したりするプログラムを用意しています。翌2013年からホームステイが取り入れられ、花蓮市役所への表敬訪問も行われました。これ以降、このパターンが定着し、現在まで続いています(2020年から22年は新型コロナのために中断)。
最初の交流でタバロンを訪問した児童たちは、今では25歳くらいになっています。戦前から続く与那国と台湾の関係にあって、与那国島と花蓮光復の間では、新しい世代を主役にして交流が続けられています。
光復の一日も早い復興を望みます。


